人生に勝ち組・負け組があるの?【生き方】

勝ち組・負け組みという意識はどうして生まれるの?

 

平等意識が高くなった昨今でも社会は発展する為に競争をして勝たなければならないという面もあります。例えば飲食店を経営するとしたら地域に同じ種類のお店があると競争に勝たなければお店を続けられなくなります。

教育現場では競争を無くす方向に進みつつある一方で社会に出ると競争社会という面は無くなっていません。こうした中で人生において勝ち、負けという概念も根強く残っています。検索ワードを勝ち組負け組で行ってみると多くの情報が出てきます。その中でも重複して出てくるワードは以下のものです。

 

負け組に関する検索結果ワード抜粋

勝ち組負け組

 

  1. 学歴が低い・職場レベルが低い
  2. 年収が低い・収入が平均以下
  3. ルックスが悪い・生い立ちが悪い
  4. 性格が悪い・行動に問題がある
  5. スキルが無い・資格が無い
  6. 富裕層ではない・裕福な家庭ではない
  7. 犯罪・法に触れる過去がある

 

こうしたワードが重複して出てきます。社会的に不利ではないかという意識から負け組属性だとする意見が散見されます。誰か個人に対して言っているというよりもイメージとして持っている印象を受けます。

勝ち組に関する検索結果ワード抜粋

勝ち組

 

  1. 高学歴・上場企業勤務
  2. 年収が高い・経営者・セレブ
  3. ルックスが良い・高身長・生い立ちが良い
  4. 性格が良い・人望がある
  5. 高スキル・ハイレベル資格保有
  6. 犯罪的要素が無い・法に触れる過去が無い

 

勝ち組検索では上記のワードが重複して出てきます。大きくまとめると物質的、金銭的に恵まれ、容姿や周囲に恵まれた成功者を勝ち組というイメージとして感じている傾向が見られます。はたしてこういう部分が実際の人生の勝ちなのでしょうか。幸福度が確実に高いでしょうか。

本人と周囲との判断に温度差が存在する?

 

自分は勝ち組だと語っているSNSやブログ・サイトを見ると確かに優れた人生を送っている気もします。中には自分以外の人に対して自分より下だという意味で「負け組」だと言って自慢している人もいます。果たしてそれは正しいでしょうか?

実際には勝ち組に属さない人でもそれぞれ幸福度が高い事も多く、勝ち組と思っている人々は幸福の尺度が「お金」「学歴」「地位」である事が多く感じます。対してそうしたものに固着しない人も多く居て彼らはそれぞれの価値観の中で幸福を感じています。なので勝ち組だと思っていても、その価値観と違う世界で満足度の高い人は勝ち負けの意識すらしていないという事が多いのです。

人生は有限で必ず死がやってきます。この絶対的なルールを無視出来た人は過去に1人もいません。なので限られた時間の中で可能性を追求する。負けか勝ちかという判断は本人と他人でズレて居る事も多く、現時点で何かしらの目標に向かって活動している人は、目標を達成する為にアルバイトをしながら努力しているかもしれません。そして数年後に目標を達成し、収入的にも数十倍を得るケースもあります。

勝ち負けという概念を上手く利用して自分の目標達成の為に自分自身を奮起するという人もいます。価値観が異なる所にあるため意識しなくても済むのです。勝ち負けを意識し過ぎて妬み僻みの感情に苛まれてしまうと大きな損失になりかねません。

羨んでもいい。負けてもいい。でも人生の残時間は限られている

 

そもそも人生は全員に限られた時間を与えられた片道切符。決して往復切符ではないので、どんなに裕福な家庭に生まれても経済的成功、社会的成功をしても、それを享受出来る時間は限らている有限なものという点が重要です。

生命がお金で買う事が出来、命が永遠であれば別の価値観も多く出てくる事と思われますが、命は10代~90代まで寿命を選ぶ事が出来ません。惜しまれて15歳で生涯を閉じるか120歳まで生きるかすら分かりません。

過去の偉人の残した著書を読んでみても苦悩の中で悶絶しながら人生の意味、成功を含めて解決半ばにしてこの世を去っていたり莫大な経済的成功を収めながらにして後悔と苦しみに苛まれながらこの世から亡くなった人は数限りなくいます。

この瞬間にもそうした事は終わる事なく繰り返されます。自分の人生は片道であり、時間も限られている中で勝ち・負けに拘る事が重要なのか?という点を考えるとそこではないようにも感じます。自分の人生がどれほど充実しているのか、満足出来る行動が出来たのかが重要でしょう。

 

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